2007.07.19 西ツァボを後に、一路日本へ

夜が明け、最後の朝。
水場にはキリンがやってきた。
そして背中にウシツツキをたっぷり乗せたアフリカンバッファロー。
生命の営みは、今も、日本に帰ってからも、ここでは粛々と続いてゆく。
遠くには、キリマンジャロもうっすらと姿を現した。
ここは、本当になんて美しい場所なんだろう。

荷物を整え、9:00にロッジを出発。
ここからナイロビまで5時間半のドライブだ。
行きがけと同じく、モンバサハイウェイをナイロビへ向けて走ってゆく。
と、ここで眠気に襲われてしまった。
そういえば、西ツァボに来てからお昼寝してないもんね。
ん゛〜っ、最後なのにもったいない!!
必死に目を開けようとするけど、どうにもこうにも眠いっ。
ついでに、今日で最後かと思うとちょっと涙も出てくる。
まるで子供が眠る時のようだ。
思えば、去年の最終日はマサイマラからの道中、ずっと涙が止まらなかったものだ。
出発前、「最後にするから」と殿に言って2週間の旅行を許してもらったものの、来てみるとやっぱりここが大好きだと逆に想いが強くなってしまって、帰るときは辛くて仕方がなかったのだ。
帰国後、「ごめんなさい。また行きたくなりました。」と殿に話し、「男なら約束をやぶったりしたら許さんところやけど、そんなに好きなら仕方ない。」と再度のケニア行きを認めてくれた我が夫。
私がしたい事、行きたい所へ、自由に出させてくれる彼には、感謝の限りだ。
お昼は、キラグニのランチボックス。
サンドイッチやチキン、写ってないけれど林檎など、ボリューム満点。
休憩場所で食べる予定だったけど、お腹がすいていないので、車中でいただくことにした。
工事中でもうもうと砂埃の舞うゾーンに突入。
ここからは1時間ほどで空港に到着だ。
ナイロビに入り、途中で現地係員のキャサリンを乗せ、車はジョモケニヤッタ空港に到着。
ここはセキュリティが厳しいので、搭乗者しか空港内に入ることができない。
手続きを終え、ガラス越しにお別れをする。

キャサリンの後ろに立っていたオクボさんもガラスの前までやってきて、見送りをしてくれる。
「何?」
とジェスチャーをするので、
「またね。メール送ってくださいねー。」
と挨拶。

機内で、「しまった!あんな普通の挨拶じゃなくて、ウナペンダティキティカビサ!(あなたはホントにスイカが好きね!)」って言えばよかった〜などと思いつつ、眠りにつく。

ケニアはまだ夕方だけど、日本は夜中近く。ナイロビードバイ間で眠った方が、帰国後時差に悩まされなくて済むだろう。
長時間のフライトを終え、無事関空に到着。
携帯の電源を入れる。
「仕事で23時頃帰るので迎えにいけないけど、気をつけて帰ってくるように。」
と、殿からのメッセージ。
お土産は、タスカービールとドバイのナッツ。
帰ったら、一緒にビールを飲もうね。
何故、こんなにケニアが好きなのか、長い間その理由が分からないままだったけれど、今回きっとこれだと思うことがあった。
あそこへ行くと、素直になれるのだ。そして元気にもなる。
出発前、仕事内容が変わったこともあって、プレッシャーから大きな口内炎が喉にできたまま治らなかったのだけど、ナイロビに着いた途端、嘘のように治ってしまった。
もちろん、日本では殿が色々と気にしてくれたので、口内炎程度で済んでたんだけど。

きっと、時間に追われたり、常に何かを気にしたり、気を遣ったりという、日本で生きている限り逃れられない様々なことから、解き放ってくれる場所が、私にとってはケニアなのだろう。
日本では考えられない程、自由に、遠慮なしの行動ができるのも、たぶんここだから。

私は、またいつか、あの大地に戻ることができるのだろうか。できるといいな。

最後に、昨年に続いて、今年も遠くて高いケニアまで同行してくれた友人、計画のきっかけを下さったヒロコママさん、当初の予定から大きく変わった旅のコーディネートに根気強く付き合って下さった山本さん、昨年と同じドライバーさんを手配してくださったソマックの方、今年も張り切って案内してくれたオクボさん、そして妻の勝手な行動を許してくれた殿へ。どうもありがとうございました!!!
皆さんのお陰で、楽しい旅になりました。



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